ロンドン海軍軍縮条約(とワシントン海軍軍縮条約)

どうも、かがみです!

本日、10月2日はそう!
ロンドン海軍軍縮条約に批准した日(1930年)ですね。
時の首相は濱口雄幸、日本全権は若槻礼次郎

それではこちらを要点を絞って説明していきます。

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概要

ロンドン海軍軍縮条約は一言で言えば
戦艦や空母よりちっこい船(補助艦(潜水艦等))の保有量を制限しよう!
ってな内容になっております。

戦艦や空母は1922年のワシントン海軍軍縮条約で保有を制限されていたのですが、
補助艦の保有については制限が無かったため、高性能な補助艦を無制限に造ることが出来る状態でした。

結果

この条約に合意したことで財政を圧迫していた軍事費が抑えられるため、
国内でも支持する声も多かったそうです。

その後

しかしながら軍部からは保有量(対米英7割を希望)が希望に届かなかった等により反発を招きます。
その後、統帥権干犯問題などで、軍部が勢いを増していきます。
統帥権干犯問題については別の記事で説明させていただきたいと思います。

最後に

ここからは私が受験生の時に苦労した部分なのですが、似たような名前の条約に、
ワシントン海軍軍縮条約(1922年)
があります。
これ以外にも、
保元の乱(1156年)と平治の乱(1160年)
文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)
など、近い年代に似たような名前のものが日本史には多く出てきます。
このような場合は自分で時代の流れに沿って図解を作ると頭の中で整理も出来て覚えやすいと思います。
それでは今回のワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約を例に
私が学生時代に作っていた図解を紹介いたしますので、ぜひ参考にしてみてください。

今日の図解

本日もお疲れ様でした。
ご質問等ございましたらお気軽にコメントやお問い合わせいただければと思います。

ありがとうございました^^

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