どうも、かがみです!
本日は、北面の武士と西面の武士の違いについて書かせていただきたいと思います。
用語の違いが”北”か”西”だけですので、しっかりと違いを確認してみてください。
それでは北面の武士と西面の武士の違いについてについて要点を絞ってまとめていきます!
北面の武士(ほくめんのぶし)
北面武士とは11世紀末頃に白河上皇が創設した、院御所の北面を警護した武士のことです。
しかしながら、承久の乱(1221年)で朝廷が敗北したため、徐々にその規模は縮小していくこととなります。
西面の武士(さいめんのぶし)
西面の武士とは後鳥羽上皇が創設した、院御所の西面を警護した武士のことです。
北面の武士が軍事貴族などの公家層を含むのに対し、
西面の武士は御家人が中心となり構成されています。
しかしながら、承久の乱(1221年)で朝廷が敗北したため、その後は廃止されました。
今日の図解
以上が北面の武士と西面の武士の違いの要点をまとめた内容になります。
色々と書かせていただきましたが、今回一番押さえていだだきたい部分は
白河上皇=北面の武士
後鳥羽上皇=西面の武士
です!
こちらも正誤問題でよく問われる部分になりますので、
しっかりとイメージを持って覚えてみてください。
またこれらと似た用語に、『滝口の武士』(たきぐちのぶし)がありますが、
これは宇多天皇(在位:887〜897)が創設した宮中を警護した武士たちのことです。
余談ですが、この滝口の武士で有名なのはこちらの記事でも書かせていただいた平将門です。
これら3つの一番の大きな違いは創設時の天皇(上皇)だと思いますので、
図解を使って違いをしっかりと覚えて見てください。
それでは本日の図解になります。
本日もお疲れ様でした。
ご質問等ございましたらお気軽にコメントやお問い合わせいただければと思います。
ありがとうございました^^
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