明徳の乱(1391年)

どうも、かがみです!

本日、1月24日はそう!
明徳の乱が発生した日ですね(旧暦:1391年12月30日)

それではこちらの要点を絞ってまとめていきます!

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概要

明徳の乱とは
山名氏清・山名満幸
VS
足利義満(室町幕府3代将軍)
がこの戦いの構図になっています。

当時「六分の一殿」(日本の約60カ国中、11カ国を領地としていたから)と呼ばれていた山名氏清を、疎ましく思った足利義満が挑発し山名氏がそれに応える形で戦が起こりました。

結果

大内義弘などの活躍で足利義満が勝利を収めます。

これにより山名氏の領地は11か国から3カ国に減らされることとなりました。

その後

その後、1392年に南北朝の合体(合一)がなされ、
明徳の乱で活躍をした大内義弘をも1399年の応永の乱で滅ぼした足利義満のもとで、
室町幕府は最盛期を迎えていきます。

今日の図解

以上が、明徳の乱を要点だけをまとめた内容になります。

明徳の乱は足利義満の有力守護(大名)弱体化政策の一つです。
この戦いの前後に
1390年土岐康行の乱(VS土岐康行)
1399年応永の乱(VS大内康弘)
があるのでこれら3つの乱は混同しやすいですが、正誤問題等で出題しやすい箇所になりますので、
乱の名前と年号、図解の赤字の人名はしっかりと覚えておきましょう。

それでは本日の図解になります!

本日もお疲れ様でした。
ご質問等ございましたらお気軽にコメントやお問い合わせいただければと思います。

ありがとうございました^^

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