鎖国とは?わかりやすくポイントをまとめ!

どうも、かがみです!
本日は、鎖国について書かせていただきたいと思います。

鎖国というと外交を完全に遮断し、自国に引きこもるというイメージを持たれているかもしれませんが、実際は清(今の中国)やオランダ等と交易をしていました。

そんな話を交えながら江戸幕府の鎖国政策について要点を絞ってまとめていきます!

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鎖国とは

鎖国とは江戸幕府3代将軍徳川家光の時代に
キリスト教の禁止と貿易統制を目的日本人の海外渡航と外国船来航規制を行った政策のことです。
(ここでは”日本人は外国に行くな、外国人は日本に来るな”位にイメージしていただければOKです)

鎖国という言葉の由来

当初から鎖国という語で呼ばれていたわけではなく、
19世紀の初め蘭学者の志筑忠雄『暦象新書』で有名)がドイツ人ケンペルの『日本誌』の一部を『鎖国論』と訳したことが由来となっています。

鎖国下の窓口

冒頭でも少し触れましたが、鎖国とはいっても完全に国交を断っていた訳ではなく、

出島(今の長崎県にある人工島)では清とオランダ
薩摩藩(今の鹿児島県)では琉球王国
松前藩(今の北海道)ではアイヌ
と交易を行っていました。

その中でも長崎で行われていた清とオランダとの交易の、
用語とその意味は押さえておいてください。

オランダ・・・オランダ商館長カピタン)←イメージはオランダの日本支部長
       オランダ風説書←カピタンが幕府に提出する海外事情報告書
               これにより鎖国中もある程度世界情勢を知る事ができた

清・・・唐人屋敷←長崎郊外にある清商人の居住地

鎖国政策

鎖国令は何度も出されていますが、その中でも特に試験によく出ると思われるものを3つ紹介させていただきます!

鎖国令(寛永十年令)1633年

1633年の最初の鎖国令。

主な内容は
奉書船以外の海外渡航禁止
海外在住5年以上の者の帰国禁止

奉書船・・・朱印状+老中発行の奉書(老中奉書)を所持する船

鎖国令(寛永十二年令)1635年

1635年の鎖国令。

主な内容は
日本人の海外渡航禁止
海外在住者の帰国禁止

これにより朱印船貿易は終わりを迎えることとなりました。

朱印船貿易・・・幕府からの渡航許可証(朱印状)を所持する幕府公認の船(朱印船)による貿易

鎖国令(寛永十六年令)1639年

1639年の鎖国令。

主な内容は
ポルトガル船(かれうた)の来航禁止

これにより、鎖国の完成となります。

今日の図解

以上が要点だけですが、鎖国についてまとめさせていただきました。

この鎖国政策ですが、正誤問題でよく出題されるイメージがあります。

例:ポルトガル船は1635年の鎖国令で来航が禁止された。→誤。禁止されたのは1639年の鎖国令。

この例題のように今回は年号も覚えていただければと思います。
有名な覚え方は1633年・1635年・1639年の最後の数字を拾って「3・5・9」→「さ・こ・く」です!

また、当然ですが鎖国政策は段階的に内容が厳しくなってきます。
そこをイメージした上で覚えて見てくださいね。

それでは本日の図解になります!

本日もお疲れ様でした。
ご質問等ございましたらお気軽にコメントやお問い合わせいただければと思います。

ありがとうございました^^

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